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散策コース

泉山磁石場コース

陶山神社出発

陶山神社駐車場は無料です、ここに車を駐車し神社に参拝して旅の安全を願い出発

異人館 200㍍

明治9年(1876)貿易商田代紋左衛門の子、助作が有田の陶磁器を輸出する外向商人の接待・宿泊所として建てた。西洋風の建築様式を取り入れた和洋折衷の構造で、地域の人々から異人館と呼ばれる

深川製磁

深川製磁の魅力 日本の磁器のふるさと有田。そこに生まれ、華麗な色絵磁器の伝統を受け継ぎ、創意を凝らして数多くの作品を作り出してきた深川製磁百年の歩み。パリ万博で金牌を受賞した絢爛たる大花瓶、皇室御用達の品々。人間の手業が極めた所産は、時を越えて今なお品位と風雅、清新な魅力をたたえています

三空庵広場 300㍍

有田でおこった文政の大火の逸話で、この三空庵広場の地蔵菩薩に信者が地蔵を背負って避難させようとしたが重くて動かなかったので「かるうて(背負って)逃ぐっけん、軽うなってくんさい」と祈ったところ、すーっと軽くなって焼失から免れたそうです

トンバイ塀

トンバイとは、登り窯を築くのに使ったレンガのことです。レンガは、窯がたかれるうちに薪の灰をかぶり高温を浴びて表面がガラス質に変化し微妙な色合いになります。このトンバイや使い捨ての窯道具のハマ・トチンを赤土で固めて築いた塀がトンバイ塀です

泉山大公孫樹 700㍍

樹齢約1,000年、高さ30m、根回り11.6mの直幹型の雄株の大いちょうです。佐賀県内で一番の巨木で、国の天然記念物に指定されています

泉山磁石場 500㍍

日本磁器発祥の地と言われている泉山にある磁石場です。1616年、朝鮮人陶工・李参平により国内で初めて磁石が発見され天狗谷窯で焼成されたと伝えられています。400年の間に山が一つ無くなったように採掘された跡は圧巻です

先人陶工碑

有田焼の発展を支えてきた先人の偉業をしのび、トンバイ材による記念碑を1966年有田焼創業350年を記念して建立しました。登り窯をイメージしたデザインとなっております。

古賀峯一生家跡

明治18年古賀峯一はここ有田の生まれ。佐賀中学卒業後、海軍兵学校に入学する。数々の武勲を立て、昭和17年に海軍大将になった。翌年山本五十六が戦死したため、その後をついで艦隊の総司令官になった。太平洋戦争で戦局が悪化する苦しい戦いを続け、昭和19年戦地で亡くなった

白磁の名水

泉山ロータリー近くにある。透明度が高い硬水は酒用として最適とされ、近隣の酒蔵がこの水を求めて汲みにくるほどの名水

六地蔵

六地蔵は平安時代の六道信仰からきており、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」この6つを転生するといわれているがその救済を行う仏様が六地蔵です

先人陶工の碑

1966年有田焼創業350年記念に建立
有田焼の発展を支えてきた先人の偉業をしのび、トンバイ材を使い登り窯をイメージしたデザインとなっている
毎年陶磁器関係者により、先人陶工祭が碑の前で執り行われています

口屋番所跡

江戸中期の文献によると「泉山口・岩谷川内口・広瀬山・市ノ瀬山・嬉野口」の五箇所に設置
足軽が一名ずつ配され、主な目的は皿山における人と物の動きの監視であり、有田焼の技術の漏洩や泉山磁石(原料)製品の不正取引に目を光らせていた

赤煉瓦塀岩尾磁器橫

トンバイ塀通りを進むと赤煉瓦塀に囲まれた製造メーカー岩尾磁器工業がみえてきます。
全国各地の建造物や公園等に、1950年代より約2,700点もの壁画を制作されています。皆様もきっとどこかで見られたことがあるのでは

記念碑 岩松平吾

有田町上幸平に生まれ食器・茶器の名陶家
製陶業に長じ彼の製品は荷造りの検品が必要ない程に信用された。晩年は、有田泉山磁石場の事務長として監督に当たり、古来乱掘にまかされていた坑区を整理した。没後、功績を記念し各山の窯家が泉山磁石場に石碑を建立
明治23(1890)年7月没、六十四歳。
 
陶山神社
〒844-0004
佐賀県西松浦郡有田町大樽2-5-1
TEL.0955-42-3310
FAX.0955-42-3317
神社
 
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