本文へ移動

境内のみどころ

日本磁器誕生の地・有田の歴史を探訪しよう

お~いこっちだよ~!
頃なにげなく使っている焼き物のふるさと。
日本で初めて磁器が焼かれた有田を満喫
 
神社に奉納された江戸・明治・大正・昭和・平成の焼き物を堪能しよう!

有田ならではの風情

明治21年 奉納 稗古場区 高さ3.7㍍ 幅3.9㍍ 有田泉山の陶土から作り出された白磁に、天然呉須(ゴス)による淡いブルーの唐草文様が美しい明神鳥居有田のシンボルとしてこの地に訪れる皆様を迎える
磁器製明神鳥居
【登録文化財】
 
職人の技が光る!
明治20年  奉納 十代今右衛門  高さ82㌢ 鳥居と同じく泉山の陶土を使用しており、暖かみのある白磁が目を引く。阿吽一対で独特な姿で美しい
磁器製狛犬
 
 
明治22年 奉納 中の原区 高さ1.09㍍ 直径90㌢ 大物作りで有名なロクロ師、井手近作・小山直次郎・絵付けは川浪喜作の逸品。泉山の陶土でこれだけのものは難しいとされる
磁器製大水瓶
 
 
凛々しい!
弘化3年 奉納 幸平区 総延長6.1㍍ 高さ78㌢ 呉須による蔓草文様がびっしりと描かれた角物細工で、上部の擬宝珠(ぎぼうしゅ)にはロクロ目があり、泉山陶土の暖かさと、江戸後期の豊かな作調が時代を感じる逸品 
日本一の磁器製玉垣
【登録文化財】
 
 
明治18年 奉納  本幸平区 高さ1.8㍍ 幅71㎝ 長さ1.2㍍ 鋳物師は深見孫三郎直次・深見孫平直満・大野正助直久とある。青銅製の狛犬では本例を上回る大きさの物はなく日本一の大きさを誇る
日本一の青銅狛犬
【登録文化財】
明治17年 奉納 大樽区 高さ2㍍  鋳師 谷口清八製作谷口家は代々佐賀藩の御用鋳物師で、第十代藩主鍋島直正の時代には大砲やその他の武器も鋳造した谷口鉄工所。本例は当時を知る貴重な燈籠である
青銅製燈籠
【登録文化財】
大正6年(1917年)有田焼創業300年を記念し建立 海抜85㍍の境内駐車場より65㍍の高低差があり、徒歩で約300㍍所要時間は約5分 斎場から見える有田の風景は必見 碑文には「公はわが有田の陶祖であることは無論のこと、我が国、陶業界の大恩人である。現在陶磁器関係に従事する人は、その恩恵にあずかっている、その偉業をたたえここに仰ぎ祀る」と記されている 毎年5月4日に陶祖祭を執り行う
陶祖李参平碑
昭和27年8月再建 戦死された二百九十五名のお名前が列挙されています
忠魂碑
有田焼工業の祖 香蘭社・深川製磁の創業者であり明治の文明開化期の有田のリーダー パリ万博・フィラデルフィア万博等日本を代表して出陳 有田焼の国際貿易に力を入れ、有田焼を世界的なブランドに引き上げた人物 明治23(1890)年10月23日没(57) 深川君之碑の題字は大隈重信 碑文を久米邦武が綴り、書が西岡春益の息子の逾明の選筆 毎年10月23日に慰霊祭を執り行う
深川栄左衛門碑
有田町の学問の祖 学制施行前の明治4年(1871)に学校を創建 有田小学校初代校長 有田焼発展の為には後継者の育成が大切で「西洋の技や理教に学び、その長をとり、わが不足を補うことによって名工を育てる必要がある」と説いている 題額は小城旧藩主子爵鍋島直虎 碑文は久米邦武が撰文 書は中林悟竹の揮毫
江越禮太記念碑
明治5(1872)年有田白川生まれ 明治21(1888)年文部大臣森有礼の選抜生として上京し美術学校に学び、後貿易業に従事し、明治38(1905)年政府の嘱託として渡米、後有田に帰り「李参平之碑」建設を提唱し大正6(1917)年これを完成 政界でも活躍し、有田磁石採掘の百年の大計を造る 大正12(1923)年没 「有田陶器市」の提唱者
深川六助記念碑
山本五十六大将の次の聯合艦隊司令長官 有田泉山の出身 日本最後の海軍元帥 昭和19(1944)年3月31日薨去(61)元帥の称号を賜った 毎年5月に慰霊祭を執り行う 碑文は古賀峯一氏と同期であった西川速水氏による 碑の形状は船の形になっている珍しい碑
海軍大将
元帥古賀峯一慰霊碑

境内見取り図

陶山神社鳥瞰図(明治十八年当時)

陶山神社
〒844-0004
佐賀県西松浦郡有田町大樽2-5-1
TEL.0955-42-3310
FAX.0955-42-3317
神社
 
2
4
1
9
9
5
TOPへ戻る